自由って、子どもにとって大事なもの。

そう思っていたはずなのに、いざ子どもに自由を渡そうとすると、大人の私のほうが不安になることがあります。

失敗しそうなら止めたくなる。
遠回りしそうなら、つい口を出したくなる。
『見守る』と決めたはずなのに、気づけば誘導している。

先日、映画『夢みる校長先生』の上映会に参加して、そんな自分の中の矛盾に気づきました。

この記事では、作品を見て感じたことをきっかけに、子どもの自由、大人の見守り方、そして自由を渡す側の覚悟について、もふもすれ視点で書いています。

作品の詳しい内容をここで書くのは控えますが、予告編でも紹介されている『校則をゼロにした中学校』の校長先生の話が、私の中に強く残りました。

中学校で校則をゼロにする。

その言葉を聞いたとき、最初に思ったのは「本当にできるの?」でした。

自由にしていいと言われたら、子どもたちは困らないのかな。
何かあったとき、大人はどうするのかな。
正直、自由の良さより先に、不安のほうが出てきた気がします。

だからこそ、校長先生の「反骨精神を抱かないと世間に負ける。その練習だ」という言葉が、ただかっこいい言葉ではなくて、ずしんと残りました。

自由って、いい言葉です。

でも実際に「何をしてもいいよ」「自分で決めていいよ」と言われたら、案外、人は戸惑うのかもしれません。

決められたルールがあって、進む道があって、やることが用意されている。

その方が、楽なこともあります。

だって、自分で考えなくていいから。

自由って、子どもより大人のほうが苦手なのかもしれない

今回の上映会を見て、私はそんなことを考えました。

子どもに自由を渡すのは大事。

そう言葉では思っていても、実際には大人のほうが自由に慣れていないのかもしれません。

ほとんどの大人は、レールの上を歩いてきました。

学校に行って、決められたことをして、周りと大きく違わないように進んでいく。

もちろん、それが悪いという話ではありません。

でも、レールの上を歩くことに慣れていると、レールを外れる道を想像するのが難しくなります。

そして無意識に、子どもにもそのレールの上を歩かせようとしてしまう。

「そっちじゃないよ」
「普通はこうだよ」
「失敗するかもしれないよ」

そうやって、子どもが自分で選ぼうとしている道を、先回りして止めてしまうことがあるのだと思います。

私も、子どもには「失敗から学べ」と言っています。

言っています。

言っているんですけど。

いざ本当に失敗しそうになると、口を出したくなるんですよね。

「あ、それはやめた方がいいんじゃない?」
「こっちの方がいいんじゃない?」

気づけば、見守るどころか、がっつり誘導している自分がいます。

もふもすれ、反省。

息子のハイTを見ていても、私はたぶん同じです。

本人が自分で決めたことなら、失敗しても経験になる。
そう思っているのに、提出期限が近づいているのに動いていない姿を見ると、つい口を出したくなります。

「大丈夫なの?」
「今やらなくていいの?」
「あとで困るのは自分だよ?」

本人からしたら、わかっているかもしれない言葉を、心配な大人が何度も言う。

自由を渡す側のほうが、思っているより我慢が必要なのかもしれません。

自由を渡すなら、大人のほうがブレてはいけない

子どもに自由を渡すと決めたなら、大人のほうがブレてはいけないのだと思います。

もちろん、何も見ずに放っておくという意味ではありません。

最低限のルールや、人を傷つけないための線引きは必要です。

でも、自由を渡したふりをして、結局こちらの思い通りに動かそうとしてしまったら、それは自由ではないのかもしれません。

自由と放置は、たぶん違う

自由を渡すというのは、何でも好き勝手にさせることではなくて、必要なところでは支えながら、でも必要以上に奪わないことなのかなと思います。

この線引きが、本当に難しい。

見守るって、簡単そうで簡単じゃありません。

子どもが悩んでいると、助けたくなる。

失敗しそうだと、止めたくなる。

でも、その経験ごと奪ってしまったら、子どもが自分で考える機会も減ってしまうのかもしれません。

本当の意味での自主性って、きっとそういうところから育つのだと思います。


ハイTの課題で聞かれた『自由とは何か』

そういえば、息子のハイTが高校入学前に『自由とは何か』という課題を出されていました。

ちなみにハイTは、期限当日に提出していました。

……まあ、その話はいったん置いておきます。

そのとき私は、ハイTに聞かれてこう答えた気がします。

「自分のいる枠の範囲内で、最低限のルールだけは守って、自分のしたいようにすること」

たとえば、法律という最低限のルールがなければ、人を傷つけたり、物を盗んだりしてもいいことになってしまいます。

それは自由ではなくて、ただの無秩序です。

だから、自由には最低限のルールが必要だと思っています。

でも一方で、ルールが少ないということは、選択肢が多いということでもあります。

選べる道がたくさんある。
何をしてもいい。
どこに進んでもいい。

そう言われたとき、人は急に不安になるのかもしれません。

自由に解放された方が、何をしたらいいのかわからなくなる。

だから自由って、難しいのだと思います。

ルールが増えるほど、自由は少しずつ小さくなる

世の中には、最低限のルールを守れない人もいます。

誰かが困ることをしたり、人を傷つけたり、迷惑をかけたりする。

そうすると、新しいルールが増えていきます。

「これはしてはいけません」
「あれも禁止です」
「ここから先はダメです」

もちろん、必要なルールもあります。

でも、してはいけないことが増えれば増えるほど、できることは少しずつ減っていきます。

自由を守るためにルールが必要なこともある。

でも、ルールが増えすぎると自由が小さくなることもある。

このバランスが、すごく難しいのだと思います。

自由って、思っていたよりずっと
『大人の覚悟』が必要なものなのかもしれません。

高校の保護者会で聞いた『山登り型』と『川下り型』

高校の保護者会で、印象に残っている話があります。

昔の学校は『山登り型』だったそうです。

欲しいものは自分で手に入れるしかない。

目標を決めて、そこに向かって登っていくような時代。

でも今は『川下り型』になっている、と。

すでにたくさんのモノがあり、選択肢も多い。

だからこそ、いろいろな経験をしながら、自分で選んでいく力が必要になる時代なのだと聞きました。

これを聞いたとき、私は『自由』とも繋がっている気がしました。

選択肢が多いということは、自由があるということでもあります。

でも自由があるからこそ、迷う。

正解がひとつではないからこそ、自分で考えないといけない。

今の知識を学んでも、子どもたちが社会に出る頃には、世の中がどうなっているかわからない。

だからこそ、ただ知識を覚えるだけではなく、選ぶ力や考える力が必要なのかもしれません。

そしてその力は、いきなり身につくものではないのだと思います。

小さな選択をして、小さな失敗をして、小さく考え直して。

そういう積み重ねの中で、選ぶ力や考える力は少しずつ育っていくのだろうな、と今は思っています。

子どもに自由を渡す前に、大人が考えたいこと

『子どもに自由を渡す前に、大人の私たちこそ、自由をどう扱うかを考え直す必要がある』

今回の上映会を見て、私は本当にそう感じました。

子どもに「自分で考えなさい」と言いながら、大人が先に答えを用意していないか。
子どもに「失敗してもいい」と言いながら、大人がその失敗を怖がっていないか。
子どもに「自由に選んでいい」と言いながら、結局、大人が安心できる道だけを選ばせようとしていないか。

これは子どもの話でありながら、大人自身の話でもあるのだと思います。

自由を渡すには、渡す側にも覚悟がいる。
見守るには、見守る側にも強さがいる。
そして、ブレないことも必要になる。

もちろん、私はまだまだできていません。

口も出します。
心配もします。
たぶん明日も、何かしら言ってしまうと思います。

でも、それでも。

子どもが自分で考えて、自分で選んで、自分で進んでいく力を奪わない大人でありたい。

そう思いました。

映画をきっかけに考えた、子どもの自由と大人の覚悟|上映情報

映画『夢みる校長先生』は、まほろばスタジオさんのサイトなどで上映スケジュールが確認できます。

気になる方はぜひ上映スケジュールを確認して、実際に見てみてほしいです。

学校のこと、子どものこと、自由のこと。

そして、大人の私たち自身のこと。

いろいろ考えるきっかけになる作品でした。

まほろばスタジオ公式サイトはこちら

映画『夢みる校長先生』公式サイトはこちら

※画像は上映会でいただいたパンフレットの一部です。詳しい上映情報や作品情報は、公式サイトをご確認ください。

自由についての考えは、きっと十人十色

この件に関しての意見は、十人十色だと思います。

自由をどう考えるか。

子どもにどこまで任せるか。
大人はどこまで見守るのか。

きっと、人によって考え方は違います。

正解をひとつに決める話ではないのだと思います。

ただ私は、今回の上映会を見て、こう感じました。

『自由って、子どもより大人のほうが苦手なのかもしれない。』

だからこそ、子どもに自由を渡す前に、大人の私たちこそ、自由をどう扱うかを考え直す必要があるのかもしれません。

今日もまた、もふもすれは考え中です。

子どもに自由を渡すこと。
口を出しすぎないこと。
失敗しそうなときに、どこまで待てるか。

たぶん私は、これからも心配して、たまには余計なひとことを言ってしまうと思います。

それでも、「自分で決めたんだから大丈夫かな」と一度立ち止まれる大人ではいたいです。

失敗も、迷いも、口を出しすぎた反省も。

ぜんぶ、ミになる。

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もふもすれ
47歳のシングルマザー、もふもすれです。 お出かけ・日々の気づき・人生のこと・お金の学びを、実体験と写真を交えながらゆるく綴っています。