仕事が終わって、ひとまず横になる。

一応、休んでいる。

体はちゃんと横になっているし、動いてもいない。
けれど、手にはスマホがある。

LINEオープンチャット(以下、オプチャ)の流れを読んで、定期的に流れてくるニュースを見て、金融系のYouTubeをなんとなく流す。

何かをしているような、何もしていないような。
休んでいるような、休めていないような。

そんな時間が、最近ちょっと気になっている。

横になっているのに、頭だけ動いている

体は止まっている。

でも、頭の中はわりと忙しい。

オプチャの会話を追いながら、ニュースの見出しを見て、YouTubeから流れてくる話を聞く。

ひとつひとつは、悪いものではない。

オプチャは楽しい。
ニュースも、知らないよりは知っていた方がいい気がする。
金融系のYouTubeも、流していると少し勉強したような気分になる。

だから、完全に無駄だったとは言い切れない。

むしろ、何かを得た気分になることも多い。

ただ、その情報たちが頭の中で順番待ちしている感じがある。

これは後で見よう。
これは覚えておいた方がいいかも。
これはどういう意味だろう。
これは前にも聞いた気がする。

横になっているだけなのに、頭の中ではずっと何かが動いている。

休憩しているつもりだったけれど、もしかすると私は、休んでいる時間にも情報を浴び続けていたのかもしれない。

情報を得た気分と、夜が終わった後悔

スマホを見ている時間が全部悪いとは思っていない。

楽しいこともあるし、知ってよかったと思うこともある。
『なるほど』と思う情報に出会うこともある。

でも、気づいたら夜が終わっていたときの後悔は、なかなか大きい。

筋トレしたかった。
ストレッチしたかった。
少し片づけたかった。
ブログも書きたかった。

やりたかったことは、どれも特別大きなことではない。

けれど、その小さなことを何もしないまま、スマホを見て寝落ちしている。

そして最後に残るのは、首と肩のかたさ。

ものすごく現実的な置き土産である。

情報を得たような気もする。
でも、何か大事な時間をこぼしたような気もする。

この両方があるから、少しややこしい。

本当に無駄なら、やめようと思いやすいのかもしれない。
でも、ちょっと役に立つ。
ちょっと楽しい。
ちょっと勉強した気になる。

その『ちょっと』が積み重なって、気づけば夜が終わっている。

スマホ、なかなか手ごわい。

休むって、思ったよりむずかしい

目が限界になると、めぐりズムを使うことがある。

あたたかくて、目を閉じるしかなくなる。

この『目を閉じるしかない』という状態が、今の私にはけっこう大事なのかもしれない。

スマホを見ないようにしようと思っても、なかなかできない。

だから、物理的に目をふさぐ。

少し強引だけれど、これくらいしないと止まれない日もある。

ただ、めぐりズムを外したあとに、またスマホを見てしまうこともある。

休むために目をふさいだはずなのに、再開が早い。

自分でも少し笑ってしまうけれど、笑っている場合でもない気がする。

休み方は、まだよくわからない。

横になれば休めると思っていた。
何もしなければ休めると思っていた。

でも、体が止まっていても、頭の中で情報がずっと流れていたら、たぶん休みきれていない。

休むって、思ったよりむずかしい。

今のところ、はっきりした解決策はない。

スマホを見ないようにしたい。
でも、見てしまう。

それでも、横になってスマホを見続ける時間を、全部『休憩』と呼んでいいのかは、少し怪しい。

まずはそこに気づけただけでも、今日のところはよしとしたい。

できれば次は、スマホより先に、肩の力を抜くところから始めたい。


体は横になっていても、頭の中まで休めているとは限らない。
休むのも、意外と練習がいるのかもしれない。