子どもたちに、よく言われます。

「結局ママは売らないし捨てないじゃん」

……はい。

その通りです。

売ろうとは思っているんです。
捨てなきゃとも思っているんです。

でも、いざ物を前にすると、急に考え始めてしまう。

これはまだ使えるかもしれない。
誰か欲しい人がいるかもしれない。
売るなら写真を撮らないと。
説明文もちゃんと書かないと。
相場も見ないと。

そうやって頭を働かせているうちに、時間だけが溶けていく。

そして結局、物はそこにある。

子どもたちの言う通りすぎて、返す言葉が見当たりません。

捨てられない女、急に片付けを始める

私は、本当に壊れないと処分ができないタイプです。

まだ使えるものを捨てるのが苦手。

もったいないと思ってしまう。
いつか使うかもしれないと思ってしまう。

その『いつか』は、だいたい来ないのに。。。

ある日、急にスイッチが入りました。

倉庫みたいに物が詰まっている部屋を、突然片付け始めたんです。

最初は、少しだけのつもりでした。

でも、ひとつ触ると、あれもこれも気になってくる。

これはいる?
これは売る?
これは捨てる?
これは何でここにある?

気づいたら、朝になっていました。

45Lのゴミ袋が、7個くらい出ました。

そのまま子どもの試合を見に行きました。

眠くなるかと思ったら、意外とまだ徹夜いけてしまって。

自分でもちょっと驚きました。

まだいけるんだ、私。

いや、そこは驚くところではなく、たぶん寝た方がいいところです。

買ったのに見つからなくて、また買っていた

片付けをしていると、いろいろ出てきます。

買ったはずなのに、どこにいったかわからなくなって、また買い直したもの。
使おうと思っていたのに、しまい込んで存在を忘れていたもの。
いつか使うかもと思っていたけれど、今見てもやっぱり使っていないもの。

出てくる、出てくる。

これは、物が多いだけの問題ではないなと思いました。

物が多いと、探す時間も増える。
買い直すお金もかかる。
片付ける気力も削られる。
そして何より、頭の中がずっと「やらなきゃ」でいっぱいになる。

物を減らすことは、部屋をきれいにするだけではなく、自分の頭の中を軽くすることでもあるのかもしれません。

私は、考えすぎて時間を溶かしていた

不用品を売ろうと思ったときも、私はすぐに細かく考え始めました。

絵本を売るなら、単品がいいのか。
まとめ売りがいいのか。
欲しい人が自由に組み合わせられるようにした方がいいのか。
買う側から見たら、その本はもう持っているかもしれない。
だったら選べた方が親切なのでは。

……と、そこまで考える。

もちろん、買う側の気持ちを考えることは悪いことではありません。

むしろ、そこは私の良いところでもあると思っています。

でも、今回の目的は『完璧な販売ページを作ること』ではありません。

家から物を減らすこと。

そして、少しでもお金になればうれしい。

本来は、それくらいでいいはずです。

それなのに、私は売る前から考えすぎて疲れていたのだと思います。

今回の気づき

最高値で売ることより、家から物を減らすことを優先した方がいい時もある。

ここを間違えると、不用品販売なのに、なぜか大仕事になります。

手放すために始めたはずなのに、手放す前に疲れる。

これは、ちょっと本末転倒です。

『何とかしてくれる人』になっていた

この感じ、仕事でも似たようなことがありました。

前の会社で、私はちゃんと言っていたつもりです。

「ここまではできます」
「これは確認が必要です」
「これは別途時間が必要です」

そう伝えていました。

でも、結局やっていました。

自分の時間を削って。
何だかんだと帳尻を合わせて。

どうにか形にしてしまっていました。

できるから、やってしまう。
やってしまうから、また頼まれる。

その繰り返しで、私は『何とかしてくれる人』になっていたのだと思います。

相手にとって、都合のよい人になっていたんですよね。

もちろん、その会社は辞めました。

そこは、ちゃんと辞めました。

頼られることが、うれしかったのかもしれない

今思うと、そこには承認欲求もあったのだと思います。

頼られていることが、うれしかった。
役に立っていると思えることが、私の中で少し支えになっていた。

「私がやらなきゃ」
「私なら何とかできるかも」
「ここで断ったら困るかな」

そうやって、自分で自分を動かしていたのかもしれません。

でも、頼られることと、都合よく使われることは違います。
役に立つことと、自分を削ることも違います。

ここを混ぜてしまうと、気づいたときにはかなり疲れています。

そして怖いのは、私の場合、疲れていても意外と動けてしまうことです。
根性で何とかできてしまう。
だから、止まれない。

ここが問題だったのだと思います。

根性があるからこそ、ルールが必要だった

「無理しないようにしよう」
「ほどほどにしよう」
「今日は頑張りすぎないようにしよう」

こういう気持ちだけでは、私はたぶん止まれません。

なぜなら、根性で何とかできてしまうからです。

眠くても動ける。
疲れていても調べられる。
気になったら直せる。
やると決めたら、朝まで片付けもできてしまう。

これは一見、強みです。

でも、使い方を間違えると、自分を削る力にもなります。

根性がないからルールが必要なのではなく、根性で何とかできてしまうからこそ、ルールが必要なのかもしれません。

私に必要だったもの

気合いではなく、止まるためのルール。
もっと頑張ることではなく、頑張りすぎない仕組み。

私に必要なルールを考えてみた

今の私に必要なのは、「ちゃんとしよう」という気持ちではなく、具体的なルールだと思いました。

たとえば、不用品販売。

最高値を狙いすぎない。
まとめ売りを優先する。
説明文はテンプレを使う。
写真の撮り直しはしすぎない。
2週間売れなければ、値下げするか、まとめるか、処分する。

このくらい決めておいた方がいい。

仕事なら、もっと大事です。

できないと言ったことは、やらない。
時間が必要と言ったことは、時間をもらえなければやらない。
確認が必要なことは、確認が取れるまで進めない。
無理な依頼を通すなら、他の作業を減らしてもらう。

これは冷たいことではなく、自分を守るために必要なことだと思います。

ブログも同じです。

記事は80点で公開する。
画像修正は回数を決める。
公開後に直せばいい。

完璧にしてから出そうとすると、いつまでも終わりません。

そして日常では、

夜に大事な判断をしない。
疲れているときに買わない。
不安なときに調べ続けない。

これも必要です。

私は考え始めると、ずっと考えてしまいます。

だからこそ、「ここまで」と決めておくことが大事なのだと思います

全部ちゃんとしたら、24時間では足りない

私は、ちゃんとしたい気持ちが強い方だと思います。

お金のことも、仕事のことも、子どものことも、ブログのことも、家のことも。

できれば全部、ちゃんとしたい。

でも、1日は24時間しかありません。

全部に全力を出したら、どう考えても足りない。

だから、ちゃんとする場所を選ばないといけないのだと思います。

ちゃんとする場所とざっくりする場所

税務やお金の管理は、ちゃんとする。
仕事の大事な確認も、ちゃんとする。
子どもに関わる大切なことも、ちゃんと考える。
でも、不用品販売はざっくりでいい。
家の中の小さなことは、完璧じゃなくていい。
ブログも、まず出してから整えればいい。

全部を100点にしようとするのではなく、力を入れる場所を選ぶ。

それが、今の私に必要なことなのかもしれません。

頑張れる自分を責めるより、頑張らせすぎない仕組みを作る

頑張れることは、悪いことではありません。

何とかしようとする力も、悪いことではない。

でも、それをずっと続けると、自分が疲れてしまいます。

そして周りも、『この人は何とかしてくれる人』と思うようになる。

そこに気づいたら、少しずつ変えていかないといけないのだと思います。

私はたぶん、これからも急にスイッチが入って、何かを一気にやり始めることがあると思います。

片付けも、ブログも、調べ物も。

でもそのたびに、自分に聞きたいです。

これは今、本当に必要な頑張りなのか。
それとも、ただ止まれなくなっているだけなのか。

頑張れる自分を責めたいわけではありません。

でも、頑張れる自分を、便利に使いすぎないようにしたい。

根性で何とかする前に、ルールで自分を守る。

これからの私には、きっとそれが必要です。

何とかしてくれる人ではなく、何とかしすぎない人へ。

少しずつ、そちらに寄せていきたいと思います。

捨てられなかった物も、考えすぎて溶けた時間も、都合よく頑張ってしまった過去も。
ぜんぶ、ミになる。

でもね、80%で投稿しようとしたのに、また98%くらい仕上げて投稿しちゃったよ。。。ルール化って遠いね(苦笑)

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もふもすれ
47歳のシングルマザー、もふもすれです。 お出かけ・日々の気づき・人生のこと・お金の学びを、実体験と写真を交えながらゆるく綴っています。